ボヘミアは海辺にある

ボヘミアは海辺にある

 

             インゲボルク・バッハマン

 

 

この地の家が緑ならば、家の中へと入っていこう

橋が健在ならば、確固とした足場を行こう

愛の苦悩が時の流れの中に失われるならば喜んで失おう

 

それが私のことではなかったとしても、私のような誰かのことだろう

 

言葉と境界を接しているならば接するがままにする

ボヘミアがまだ海辺にあるならば海を願う

そして海を願いながら陸に希望を見出す

 

それが私のことだったとしても、私のような誰のことでもあるだろう

私はもう自分のためには何も望まない。私は底を行く

 

底へ、つまりは海へ。そこで私はふたたびボヘミアを見出す

 

底へと差し向けられておだやかに目を覚ます

そして心底理解する。それでいて自分を失うこともない

 

おいでお前たち、ボヘミアの人々よ、水夫、娼婦、そして

錨には囚われない船

ボヘミア人のようになりたくはないか、イリュリア人、ヴェローナ

そしてヴェネツィア人たちよ

喜劇を上演しておくれ、笑えるやつを

 

そしてとびきり泣けるやつを

何度でも迷うがいい

私も迷い、そして敗れた

それでも乗り越えてきた。いくたびも

 

ボヘミア人たちが試練を乗りこえ、そしてある晴れた日に

海辺で暮らすことを赦され、今は水辺にいるように

 

私は今でも言葉との境界にいる。あらたな国との境界に

次から次へと境界を渡り歩く。たとえすこしずつで

あったとしても

 

ボヘミア人、流浪の人々。なにももたず

なにひとつ縛るものとてない

異論含みの海から、選択した陸を眺める

その才能だけを与えられて

 

*1968年「時刻表」誌に発表。訳出にあたって中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)を参照しました。記して感謝します。