六十四年一月、プラハにて

六十四年一月、プラハにて

 

                       インゲボルク・バッハマン

 

 

あの夜以来

わたしはふたたび歩き、話すことができるようになった

わたしの言葉はボヘミア風に響く

まるで家に戻ったかのように

 

モルダウ、ドナウ、

そしてわたしの子供時代の川が流れる

馴染みあるものばかりの土地で

 

歩く。一歩踏み出すごとに歩くとは何かを思い出す

見る。見られながら見るとは何かをふたたび学ぶ

 

窓辺に座り

猫背のまま目をぱちくりさせて

口中に星ひとつない

影の年月が

丘を越えて遠ざかっていくのを眺める

 

朝の六時になると

フラッチャニーの丘[1]を越えて

タトラ山脈[2]からやって来た雪掻きが

ひび割れた手を動かして

氷の破片を掃き飛ばす

 

そしてわたしの、そうわたしの川の

ひび割れた氷の下からも

解放された水の流れが

姿をあらわす

 

ウラル[3]まで響くだろう

 

[1] プラハ城のある丘。

[2] スロヴァキアとポーランドの国境に位置する山脈。

[3] ロシアの中西部を南北に縦断する山脈。ヨーロッパとアジアの境界ともされる。

日々

日々

 

                      インゲボルク・バッハマン

 

宣戦布告はもうされないが

戦争は続く。聞いたこともないようなことが

日常となる。英雄は

戦地から離れたところにいる。弱いものが

射程圏内に入る

私たちの身につけるユニフォームは忍耐

勲章は胸の上に掲げられる

あわれなる希望の星

 

勲章が与えられるのは

もはや何も起こらないとき

集中砲火が止むとき

敵が見えなくなり

永遠の軍備の影が

空を覆うとき

 

勲章は与えられる

旗の下から逃げ出すことに対して

友のために勇を鼓すことに対して

不名誉な秘密を暴きたて

あらゆる命令を

無視することに対して

 

*第一詩集『猶予された時』(1953年)収録。訳出にあたって中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)を参照しました。記して感謝します。

出航

出航

 

                 インゲボルク・バッハマン

 

陸から煙が上がる

あの小さな漁師小屋から目を離すな

一〇マイル戻る間にもう

日が沈んでしまうから

 

千の眼をもつ暗い水の塊が

白い飛沫のまつ毛をひらく

お前を見るために。大きく、そしていつまでも

三〇日もの間いつまでも

 

たとえ船がはげしく足踏みをし

不確かな歩みを進めるとしても

そのまま甲板にいろ

 

机をかこみ人々は

燻製の魚をむさぼる

それから男たちはかがみ込み

網を繕う

夜になれば眠る

一時間か二時間もすれば

彼らの手は柔らかさを取り戻す

塩と油から解放され

彼らのへし折る

夢のパンのように柔らかく

 

夜の最初の波が岸辺を打つ

第二の波もすぐそこまでやってきている

それでも鋭く視線を走らせれば

強情に腕を振り上げる

木をまだ見ることができる

――風が木の枝を打ち落とした

――お前は思う。あとどれくらい

あとどれくらいあの湾曲した木はこの天気に耐えることができるのだろう

陸のものはもう何も見えない

爪を立てて砂浜にしがみついておくべきだった

あるいは髪の毛を岩礁にくくりつけておくべきだった

 

貝殻を吹き鳴らし、海の怪物が

波の背に乗り駆けてくる

煌めく剣で船上での日々を砕く。海面には赤い

轍が残り、眠りがお前を横たえる

残された時間のもとへと

お前の感覚はぼやけていく

 

その時、ロープに動きがある

お前を呼ぶ声がする

必要とされていることにお前は喜ぶ

遥かを行く船の上で働くのが一番だ

縄を綯い、水を掬い

壁の穴を塞ぐ。そして荷を守る。

疲れ切り、夜には眠るのが一番だ

朝、日の出とともに目を覚まし

不動の空に向かって行くのが一番だ

行く手を阻む水には目もくれず

船を波の上へと押し上げ

繰り返しめぐってくる

太陽の岸辺へと向かっていくことが

 

*訳出にあたっては中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)、ならびに風岡祐貴「インゲボルク・バッハマンの『出航』にみる「抵抗」の表現について」(京都大学大学院独文研究室研究報告刊行会『研究報告』第25号, 2011, 115-136頁)を参照しました。記して感謝します。

ボヘミアは海辺にある

ボヘミアは海辺にある

 

             インゲボルク・バッハマン

 

 

この地の家が緑ならば、家の中へと入っていこう

橋が健在ならば、確固とした足場を行こう

愛の苦悩が時の流れの中に失われるならば喜んで失おう

 

それが私のことではなかったとしても、私のような誰かのことだろう

 

言葉と境界を接しているならば接するがままにする

ボヘミアがまだ海辺にあるならば海を願う

そして海を願いながら陸に希望を見出す

 

それが私のことだったとしても、私のような誰のことでもあるだろう

私はもう自分のためには何も望まない。私は底を行く

 

底へ、つまりは海へ。そこで私はふたたびボヘミアを見出す

 

底へと差し向けられておだやかに目を覚ます

そして心底理解する。それでいて自分を失うこともない

 

おいでお前たち、ボヘミアの人々よ、水夫、娼婦、そして

錨には囚われない船

ボヘミア人のようになりたくはないか、イリュリア人、ヴェローナ人

そしてヴェネツィア人たちよ

喜劇を上演しておくれ、笑えるやつを

 

そしてとびきり泣けるやつを

何度でも迷うがいい

私も迷い、そして敗れた

それでも乗り越えてきた。いくたびも

 

ボヘミア人たちが試練を乗りこえ、そしてある晴れた日に

海辺で暮らすことを赦され、今は水辺にいるように

 

私は今でも言葉との境界にいる。あらたな国との境界に

次から次へと境界を渡り歩く。たとえすこしずつで

あったとしても

 

ボヘミア人、流浪の人々。なにももたず

なにひとつ縛るものとてない

異論含みの海から、選択した陸を眺める

その才能には恵まれている

 

*1968年「時刻表」誌に発表。訳出にあたって中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)を参照しました。記して感謝します。

私の鳥

私の鳥
            インゲボルク・バッハマン
 
 
 
何が起ころうとも。荒れ果てた世界が
たそがれに沈む
森は世界を眠らせ
見張りのいない塔から
悠然と世界を見下ろす梟の眼
 
何が起ころうとも。お前は自分の出るべき時を知っている
私の鳥。面をかぶり
霧を抜けて私の元に来い
 
このあたりにはごろつきがいるらしい
お前は私の合図で飛び出し
縦横無尽に飛び回る
 
肩に乗る銀色の同志。私の武器
羽毛に包まれた最高の武器
お前の面と羽毛こそが最高の飾り
 
針状の葉が降り注ぐ木の下で
私の皮膚が燃え
腰の高さの藪の葉が
いかがわしい匂いで私を誘惑してきたとしても
私の巻き毛が炎のようにきらめき
揺れながら水を求めると
私の髪をめがけて
降ってくる星のかけら
 
煙のヘルメットをかぶせられ
またしても何が起きているのかを理解する
私の鳥、夜の後見人よ
夜、私に火が点じられて
暗闇の中 ぱちぱちと音がする
私は私から火花を散らす
 
火に好かれ、そして火を
点じられたまま
幹からあふれた樹脂が
傷に向かって滴り、あたたかく
大地を紡ぐ時
(そしてお前が夜のうちに私の心を奪い去る時。誠実なる私の鳥、忠実なる私の鳥よ)
物見台に光が当たり
お前が悠然と姿を現す
何が起ころうとも
 
*第二詩集『大熊座の呼びかけ』(1956)収録。訳出にあたって中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)を参照しました。記して感謝します。
 

世界というわたしの戯曲

世界というわたしの戯曲
                トーマス・ベルンハルト
 
何千回見ても同じ眺め
窓越しに見る、世界というわたしの戯曲
林檎の木は色褪せた葉をしげらせ
幾千もの花を咲かせている
空にもたれかかって
雲の帯がながく伸びる……
子供たちの午後の叫びが響く
まるで世界には子供しかいないかのように
車は走り、老人は立ち尽くす
日が暮れるのを待ちながら
煙突からかろやかに
這い出た煙が雲を追いかける……
鳥が歌う、一羽、二羽、そして三羽
蝶がすばやく飛んでいく
めんどりは喰い、おんどりは鳴く
陽光の中を年がら年中
私の古びた家の前を通っていく
見知らぬ人々
洗濯物はロープにはためき
だれもが幸福を夢見る
年老いた男が地下室で泣いている
もう歌を歌えないと……
そうして昼が終わる
鐘が何千回鳴っても、同じ眺め
窓越しに見る
世界というわたしの戯曲は…….
 
*1952年発表。はじめて活字となったベルンハルトの作品です。

遊びはおしまい

 
遊びはおしまい
 
                      インゲボルク・バッハマン
 
 
ねぇお兄ちゃん、一体いつになったら筏を組み、
空を下るの?
ねぇお兄ちゃん、そのうち荷物の重さに耐えられなくなって
きっと墜落する
 
ねぇお兄ちゃん、画用紙にいくつもの
国や線路を描こう
気をつけて。この黒い線のあたりでは
地雷で吹き飛ぶこともあるから
 
ねぇお兄ちゃん、そうなったら私は
杭に体を縛りつけられて叫ぶことでしょう
けれどもあなたが死の谷から駆けつけて
二人で逃げ出す
 
ジブシーの野営地で、砂漠のテントで目を覚ます
髪の毛は砂まみれ
あなたや私の年齢を、つまりは世界の年齢を
年月で測ることはできない
 
狡猾な鴉、ねばつく蜘蛛の手
藪の中の羽毛に惑わされないで
怠け者の国で食べたり飲んだりもしないで
鍋や甕からいつわりの光があふれるから
 
柘榴の妖精にかける言葉を知っているものだけが
黄金の橋を進むことができる
けれども残念。こないだ庭に降った雪と一緒に
どこかに行ってしまった
 
たくさんの、たくさんの石のせいで私たちの足は傷ついている
治るのは一本だけ。その足で飛んでいきましょう
口の中に王国への鍵を隠した子供の王様が
迎えてくれる。そして私たちは歌う
 
「棗椰子の種が芽を出すうつくしい時!
墜落するものは翼をもつ
哀れな死者の布を赤いジギタリスがふちどり
あなたの心葉(しんよう)が私の印の上に沈む」と
 
もう寝ましょう、愛しい人。遊びは終わったのだから
爪先立ちで歩き、白いシャツを膨らませる
お化けが家の中にいると父さん母さんが言う
私たちが息を交わせば
 
*第二詩集『大熊座の呼びかけ』の巻頭詩です。訳出にあたって中村朝子訳『インゲボルク・バッハマン全詩集』(青土社)を参照しました。記して感謝します。